KOYO NAKAYA × KUNIHARU TAKAKUWA

グループインタビュー「MachiMatch」

中谷幸葉/高桑邦治

大企業から地方で単身移住。
TOYAMATOだからこそできること- TOYAMATO 中谷幸葉の場合

「地方創生」という言葉が聞かれても、なお大都市の一極集中が続いている。そんななかで積極的に地方都市、富山の活性化を進めているのが、株式会社TOYAMATOだ。TOYAMATOはA-TOMが主要株主となって設立した企業。そこで取締役を務める中谷幸葉さんは、A-TOMがスカウトした人物だ。なぜA-TOMは、都内の金融機関で働いていた新卒4年目の中谷さんに、新しい事業を賭けたのか。また、なぜ中谷さんは、それまで訪れたこともなかった富山に人生を賭けたのか。MachiMatch事業責任者の高桑との対談で進行する。

中谷幸葉(なかや・こうよう)
中谷幸葉(なかや・こうよう)
1992 年茨城県生まれ。
都内大学卒業後、メガバンクに就職。法人営業を経て、M&A のアドバイザリー業務に従事。
地方でのまちづくり、文化づくりに魅力を感じ、2019年株式会社アトムに入社。その後、富山県へ I ターン、株式会社 TOYAMATO を設立・取締役に就任。”富山を世界一ワクワクするまちへ”をミッションに様々な事業開発に取り組んでいる。

僕はかつて、「オール5のいい子ちゃん」を目指していた
でもそれだと、人の記憶にも残らないし、爪痕も残せないことに気がついた

高桑中谷くんが以前勤めていたのは、都内にある大手金融だったよね。

中谷そうです。もともと銀行でM&Aの業務を担当していたのですが、その時、お客様として対応させていただいたのが、A-TOMの青井茂社長だったんです。本当は僕の上司が応対するはずだったのですが、たまたまその日風邪をひいて。代わりに、僕が担当することになったんです。

高桑それが、茂さんとの出会いだったんだね。

中谷僕はM&Aの部署に異動して1年目。一生懸命説明したのですが、終わってから青井さんに「中谷くん、まだまだ若いね」って言われました。本当にショックでした。悔しかったんです、一生懸命説明したのに、「若い」と言われて。そのあとしばらくしてから、「もう1回提案させてください」って青井さんに直訴しました。

高桑その時は、まさか自分がA-TOMにM&A用語で言う売却されるとは思わなかっただろうね。

中谷まったく想像していませんでした。転職を決めたのは、A-TOMの人材担当の人とお会いした時。「学校を作ることが昔からの夢なんです」って話したら、「場所の希望はある?」と聞かれたので、「特にありません」というと、「それなら、富山にしよう。一緒にまちづくりをしようよ」と誘われました。その時はまだTOYAMATOの事業は構想中で、これから富山に人を派遣し、いよいよ本格始動する、という段階でした。まるっきりゼロからのスタートで、僕はすぐに興味を持ちました。

高桑その時、どうした? 即答したの?

中谷「やります」って即答でした。なぜ、即答だったのか、今もはっきり理由はわからないのですが、「やってみたい!」って感じた気持ちこそ、僕の本音だったんだと思います。

高桑でも大企業を離れ、縁もゆかりもない富山に移住し、まさしくゼロからビジネスを起こすってことに不安はなかった?

中谷もちろん不安だらけでした。会社を辞める前、上司や仲間にも反対されました。でも、富山行きを決断したきっかけは3つ。ひとつ目は、どれだけ自分の夢に近づけるか、ということ。ふたつ目は、誰とビジネスをするか、ということ。三つ目は、そこが挑戦できる環境か、ということ。僕の夢は学校を作ることで、富山でまちづくりに関わることで、将来、学校を作るという夢に近づけるかもしれない。それに、青井さんのビジョンに共感し、「この人と一緒に働きたい」と心底思いましたし、ゼロからビジネスを立ち上げるというまっさらな環境も、挑戦する価値のある舞台だと感じました。

高桑富山で働いて2年。TOYAMATOを設立して1年半。今、感じることは?

中谷これまで僕は数字の世界で働いてきて、クリエイティビティとは一切無縁でした。しかしA-TOMはクリエイティビティを大事にしていて、街を作ることは文化を作ること、と考えています。TOAYAMATOでも、周囲にはクリエティブな人がたくさんいて、一緒に働いていて面白い。そういう人たちと働くなかで、僕はこれまで、無意識のうちに“オール5のいい子ちゃん”を目指していたとことに気づきました。でも、教科書通りにそつなくこなすだけでは、決して人の記憶にも残らないし、爪痕も残らない。そのことに気づけただけでも、富山で挑戦する価値は十分あったと思います。

高桑TOYAMATOのためにA-TOMが探していた人材は、推進力と突破力、それから、人を巻き込む力を持った人材。特に、地方で働く上では人を巻き込む力が必要で、「自分にはこのスキルがある」と言うことは簡単だけど、その人に周りがついてくるか、といったら別問題。その点、中谷くんは人の輪の中に飛び込み、周囲の助けを借りながら、みんなを変えていく力を持っているよね。もちろん失敗や後悔もあるだろうけれど、そういうところが、TOYAMATOの実績につながっているんじゃないのかな。

いつの間にか、主語がIからWeへ切り替わっていた
この感覚は、きっと大企業じゃ味わえなかった

高桑今はどういう仕事をしているの?

中谷TOYAMATOには、ホテル事業、レストラン事業など5つの柱があります。今年3月には新会社「株式会社富山とイート」を設立し、富山県美術館にレストラン「BiBiBi&JURULi」をオープンしました。

高桑富山に来たばかりの頃は、どうだった?

中谷会社もまだ設立されていなくて、オフィスに自分ひとりだけ。どうしよう、と不安になることもありました。正直、「僕にはできる」っていうハッキリした根拠はありませんでした。特に、富山に来てすぐに担当した城址公園でのイベントで、まさに自分の無力さを実感して打ちのめされたんです。ひとりじゃ無理だ、みんなに助けてもらわなければ、なにひとつ実現できないんだって。だけど、だからこそみんなと一緒に計画を実現していく充実感がある。特に富山の人たちはいい意味でお節介なので、本気で頼めば本気で答えてくれる。仕事をするたびに仲間が増えていくのが、今は本当にうれしいですね。

高桑中谷くんの話を聞いていると、いつも主語がIじゃなくて、Weなんだよね。だからみんなが協力してくれる。大企業にいた時は、きっとそういうマインドじゃなかったはず。いつ切り替わったの?

中谷おそらく、TOYAMATOの大局が切り替わっていくタイミングで、僕のマインドも少しずつ変わっていったんだと思います。たとえば、「地方創生から地方覚醒へ。」というTOYAMATOのミッションが決まった時。それから、TOYAMATOのロゴが完成した時。そういう一つ一つを経験していくたび、「富山と何かをつないでいこう」という覚悟が僕を含めてみんなに生まれ、徐々にマインドがWeへと切り替わっていったんだと思います。

高桑仕事をする上で感じる難しさってなに?

中谷会社がゼロから1になり、今はまさに次のステップを目指すタイミング。もっと数字も追いかけたいし、TOYAMATOの社員も増やしたい。今は5名でTOYAMATOを運営しているけれど、人それぞれモチベーションも、将来の夢も違います。そんななかで、どうやって志をひとつにするか。同じ旗のもとで、それぞれが自分の役割をどう果たすか。それがこれからの課題だなと思います。

将来は、学校を作りたい--
昔からの自分の夢が、富山を舞台に少しずつ姿を現してきた

高桑これからTOYAMATOはどんな方向を目指していくの?

中谷TOYAMATOは、富山と他の都市をつなぐハブ。富山はとても魅力があり、ポテンシャルが高い街なのに、発信をすることが下手。だからTOYAMATOは、富山の人たちが改めて富山の魅力を認識するお手伝いをして、一緒に富山の魅力を世界へ発信していきたい。そして、世界中から富山へたくさんの人を送客したいですね。

高桑富山での成功体験は、ちょっと手を加えれば47都道府県でも通じるはず。富山をまず覚醒させることが、日本を覚醒させることにつながっていく。これからは、そういう活動を期待したいね。

中谷TOYAMATOは少人数で動いているからこそ、機動力があって展開が早い。そして、なにか新しいプロジェクトを立ち上げるたび、仲間がどんどん加わっていく。自分ひとりでは決してできないことも、みんなの力が集まれば現実になります。そのプロセスこそ、この仕事の醍醐味だと思っています。

高桑将来の夢は? やっぱり、学校を作ること?

中谷作りたいですね、ぜひ、富山に。これまで築いてきたたくさんのご縁や、ここまでお世話になった人たちへの恩返しの意味も込めて。

高桑大企業にいた時は、まさか自分がこんな未来を歩むことになるとは、思っていなかったでしょう? でも、TOYAMATOの大局が切り替わるタイミングで覚悟が生まれ、マインドセットができてきた。その延長線上に今があるんだね。

中谷富山に来ることを決断する時に考えたのが、「いま、富山でチャレンジしなかったら、一生後悔するんじゃないか」ということ。実は、富山に来て初めて担当したイベントが無事、成功した時、感動で泣けてきたんです。無事に終わったという安堵感と、たくさんの人に助けられたといううれしさ。覚悟を決め、全力でやり切らなかったら、絶対、あんな感情は味わえなかった。あの時の涙は、きっと一生忘れないですね。

高桑中谷くんがそういう覚悟を決めたのは、きっと、A-TOMが中谷くんに覚悟を決めさせた、という側面もあるんだと思う。働く人の覚悟と、雇う側の覚悟。二つの覚悟が合わさった時、最高の結果が生まれるんじゃないかなと、中谷くんの話を聞いて思いました。今日はどうもありがとう。

大企業に勤めて15年。今年4月、ご縁があってA-TOMに入社しました。
新型コロナの問題があり、働くということに対する日本人の価値観は大きく揺らぎました。「東京への一極集中」がいよいよ崩れ、地方はまちを活性化してくれる創造性豊かな人材を求めています。若者の間でも、東京を離れ、地方で挑戦してみたいという人が増えています。
とはいえ、なかなか最初から本気で覚悟を持っている人材は、少ないのも事実。中谷くんのように、安定した都会での未来を捨て、地方で挑戦するには、人生を賭けるだけの大きな勇気が必要です。
だからこそ、人材を雇おうとしている企業にも、若者たちに本気の覚悟を持たせてほしい。企業の理念やミッション、未来像をどう、若者の前で描いていくか。そこでは、企業側の情熱と覚悟が問われます。
その情熱と覚悟に相応しい人材を、私は、縁と人脈とネットワークを駆使し、一生懸命探します。単なるネジのひとつを探すのではない。まちを作り、文化を育み、やがて日本を変えていく人材をご紹介します。
MachiMatchの覚悟にも、どうぞご期待ください。

Machi Match
事業責任者高桑邦治