2019 SUMMER/AUTUMN

青井 茂株式会社アトム 代表取締役

表面だけ取り繕っても、
化けの皮は剥がれる。
臆することなく
本質に挑みつづけたい。

日本を代表する世界遺産、日光東照宮の陽明門には一本だけ、逆になった柱がある。「建物は完成した瞬間から崩壊が始まる」という思想のもと、わざと不完全な状態にしてあるのだ。たとえ木造建築であっても、あらゆるものが魂を持つというアニミズムの思想から考えれば、それはよく理解できる。決して完成することがないから、永遠に命が続く。そして不完全なものは、未来がある限り美しい。

どんなに優れた人間でも、決して完全ではない。どれだけ頭脳明晰で文武両道な人物でも、どこかに不完全な部分を抱えている。自分自身の過去を振り返れば、幼い頃の僕は勉強ができ、運動会でも目立つ存在で、いつも場の中心にいさせてもらった。社会人になっても重要な役割を任されることが多く、今は丸井の創業者である祖父がつくったA-TOMの代表を務めている。誤解を恐れずに言えば、他人は僕を「劣等感なんて無縁の完璧な人間だ」と見るかもしれない。でも僕にももちろん、劣等感や悩みはある。あえて口に出すなら、それは「三代目」という身の上だ。

「売り家と唐様で書く三代目」という言葉がある。これは、「初代が苦心して財産を残しても、三代目になると没落して家を売る羽目になってしまう。だが、三代目が書いた売り家の札の筆跡は、唐様で洒落ている」という意味であり、つまり、三代目になると遊び事にふけって商売をないがしろにしてしまうという皮肉だ。幸か不幸か、僕にはそういう洒落っ気がないから、たとえ家を売ることになってもセンスのある文字で売り家の札は書けそうにない。しかし、僕には三代目としての洒落っ気だけでなく、一代目として会社を興した経験もない。「丸井創業者の孫」というポジションは到底超えられない大きな壁で、僕はいつもそのプレッシャーと背中合わせだ。

一体、三代目として何ができるか。これは僕にとって永遠のテーマだ。創業者は会社をつくる。二代目は創業者が会社を興す様子を目の当たりにしているから、会社に対する思いは創業者と同等か、それ以上だ。まだ社内には情熱や理念も色濃く残っていて、目指すべき方向も明らかだ。では、すでに創業時代から遠く離れてしまった三代目の役割はなんだ。一体、僕はなんのために存在するのか。野球の名将野村克也氏は、「野村克也引く野球はゼロ」という名言を残している。では、僕から何を引いたらゼロになるのか。結婚して家族を持ち、「青井茂引く家族はゼロ」という式は出来た。だが、僕自身「これだ」と言える方程式が見つからない。それが見つからないことが僕自身、最大の悩みであり、人生の課題なのだ。

世の中の創業者と言われる人たちを見渡すと、クールで理論的な計算力と、みんなに夢を見させる圧倒的な空想力を兼ね備えていることが多い。イーロン・マスクなんてその典型で、「人類を火星に送る」と熱く語る様子は、何度みてもゾクゾクする。その一方で、彼は世界で最も野心的な起業家として多大な成功をおさめてきた。言ってみれば、ロジカルな計算力とマジカルな空想力、これこそ彼が持つ魅力であり、優れた事業家は多かれ少なかれこの二つを持っているのだと思う。

かつて、僕の祖父は丸井をつくった。そして、日本で初めてクレジットカードを発行した。現金取引が主流だった当時、「そんな商売が成功するわけない」とバカにされることもあったそうだ。だがたった一代で、信用ひとつで多額の取引ができる世の中を作り上げたなんて、今、振り返れば壮大なロマンだと思う。果たして当時、祖父の目にはクレジットカードが普及している未来が見えていたのだろうか。そしてそれは、一体どれくらい先のことだと計算したのだろう。成熟しきった現代社会と、戦争からの復興を目指した当時とでは、社会の速度はまるっきり違ったはずだ。現代と違って、当時はまったくインフラが整っていないところからの、つまりマイナスからのスタートだ。10年や20年じゃ、世界は大きく変わらない。50年経ってようやく変化が行き渡り、完全に根付くには最低でも100年かかる。祖父はそう、見込んだんじゃないだろうか。祖父が空想した100年後の未来。それは言ってみれば孫の世代、つまり、僕の世代だ。

僕らのA-TOMは今、“Imagine, 100 years”というスローガンを掲げている。100年後も残る社会とは何か。100年後に残したい文化とは何か。常にそれを模索しながら事業を企画し、興している。その試みはいわば、100年後の世界に足跡を残す作業かもしれないが、僕たちが残す足跡は、決して死んだ化石ではない。100年後の社会にも脈々と生き続け、さらに大きな花を咲かせるものであり、それらの種を僕らは今の時代に撒きたいのだ。過去の優れた為政者も、未来を思い描いて国を治め、文化を育てた。そうした試みはきっとリスクを伴うものだったはずで、人に理解されなかったり、反対されたりしたこともあるだろう。でも僕は、何事も“No pain, no gain”だと思っている。痛みなければ、得るものもなし。表層だけ取り繕っても、化けの皮は必ず剥がれる。それなら、たとえ痛みがあろうとも本質を追求しつづけ、無謀と思われるアイデアだって臆することなく挑みたい。

挑戦がなければ、人生、なんの意味もない。僕は2019年5月、令和の幕開けとともに、A-TOMの社長に就任した。つまり、A-TOMの挑戦は僕自身の挑戦になるということだ。青井茂から何を引けばゼロになるか。今の僕にはまだ、稀代の実業家たちが持っているような、ロジカルな計算力やマジカルな空想力はないかもしれないが、その代わり、祖父から引き継いだ「挑戦者」という遺伝子がある。僕はいずれ人生の幕を閉じるときに、「青井茂引く挑戦はゼロ」といわれる男になりたい。それが、A-TOMと自分に課された使命であり、僕が「三代目」という巨大な壁を飛び越えるために必要な、大きな踏み台になるはずだ。

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